マルタとマリア

近くの教会での礼拝と懇談。

教会員ではない私にも参加を許してくださるみなさんに感謝しつつお話を聴きに。

静かな空間と讃美歌に心が洗われる。

今回のお話は「仕える方法はいろいろあるけれど」という内容で

聖書 ルカ福音書10章38~42節

マルタとマリア

懇談で自分は「マルタ」か「マリア」かいう事をそれぞれはなした。

やはり「マルタ」と答える人が多い。

「お母さん」をしているとそうなる事が多い、、、

悪い事ではない。

家族に美味しい食事を食べさせたい、もっと喜ばせたい、

家族を大切に思っての事。

私は、、、

「マリアに育てられたマルタです。」

「マルタが多い中でマリアのようだった母はいんどい事も多かったと思います。」

子供だった私からみても「嫁」しかも「長男の嫁」である母はしんどそうだった。

時代は移り変わり、女性の「縛り」は減ってきている。

42節

「しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」

自分の日々の行いに立ち返る。

自分の子供たちや家族が本当に望むことに気付けているだろうか。

「仕える」と「支える」は少し意味合いが違うかもしれないが

「支える方法はいろいろある」。

心のアンテナをしっかりと張って

自分の周りの人を私なりに支えていきたい。

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